阪大生物の一卒業生からの便り

中部大学応用生物学部環境生物科学科 

大塚健三

 阪大生物の同窓会誌「Biologia」はいつも楽しく読ませていただいております。キラ星のごとき諸先輩方ならびに後輩達のすばらしい活躍ぶりを誇らしく思います。このたび同窓会会長・森田敏照先生より依頼があり、この「会員の広場」に便りを書く機会を与えていただきました。光栄に存じております。

 私は1968年入学、1972年から5年余りは修士および博士課程を旧殿村研究室に在籍していました。1978年から約3年間は名古屋大学医学部第一生化学教室(故八木國夫教授)に研究生としてお世話になり、1981年からは愛知県がんセンター研究所放射線部にて20年間勤務、2001年からは中部大学に奉職し、現在に至っております。気がつくともうすでに50代も終わりに近くなってきました。

 68年から69年にかけては、「70年安保」が近づいており、東大を初めとして全国の大学で学生運動が盛んになっていた時代です。我々の年代は政治的意識がかなり高く、同級生同士でも活発に議論を闘わせていました。阪大も692月から授業ができない状態が約半年間続きました。しかし大方の学生たちもストライキや実力行使だけでは世の中を変えていくことはできないということで、ようやく学生運動も収束に向かっていきました。

 阪大生物学科は非常に家族的な雰囲気があり、生物学科で運動会をやったり(写真1)、また、昼休みになると毎日のように運動場でソフトボールをやったりして、楽しい思い出が多くあります。

写真4.現在の大塚研究室のメンバー。前列中央が筆者(2008年12月)。

写真31974-75年頃の殿村研のハイキング。

 大学院時代は、先輩の五島喜与太さんが始められた「培養心筋細胞の拍動性に関する研究」を引き継ぎ、マウス胎児から培養した心筋細胞が拍動するのを毎日のように顕微鏡で観察していました。殿村先生からは、研究者としての物の考え方を基本からしっかりと指導していただきました。後年研究者として独り立ちしたときにも、殿村先生の厳しかった指導を本当にありがたく感じたものです。当時の研究室には、先輩では井上明男さん、後輩では滝澤温彦さんや荒田敏昭さんなど、現在も阪大で活躍されている錚々たるメンバーがおり、おのおの切磋琢磨しながら研究にいそしんでいました。研究室では恒例のハイキングもよくありました(写真3)。また、ときには夕方になると研究室の有志のメンバーが買い出しに出かけ研究室の中で晩ご飯を食べ、それからまた研究を続けることもありました。月に1回は「コンパ」と称して研究室の中で飲み会を開催しカラオケなどを歌ったりして(もちろん教授が帰った後)、近くの研究室から顰蹙をかうこともしばしばありました。現在ではあまりないことだと思いますが、「古き良き時代」の思い出です。

写真21968年当時の同級生。後列左から倉光成紀氏、篠崎一雄氏、関隆晴氏。座っているのが筆者。この当時入学したばかりの頃は学生服を着ている学生が多かった。

 学部の同級生には倉光成紀氏(阪大理学部生物)、辻本賀英氏(阪大医学部)、篠崎一雄氏(理研植物科学研究センター)、そして大学院の同級生には山本雅氏(東大医科研)など、優秀な方々が多くおり、いい意味で絶えず刺激を受けておりました(写真2)。

写真11974-75年当時、生物学教室の運動会での一コマ。後ろ姿が殿村雄治先生。その右に山本泰望さんと芝田(関矢)和子さん。後方には西村(原)いく子さん、筆者、萩原哲さん、青山明さんたちが見えます。

阪大理生物同窓会誌「BiologiaNo62009

 名大医学部(1978-1981年)では、八木先生が厚生省(当時)の「スモン研究班」のメンバーだったこともあり、私は「キノホルムによるスモン発症のメカニズム」を担当することになりました。スモン(SMONsubacute-myelo-optico-neuropathyの略、亜急性脊髄視神経傷害)は、整腸剤であるキノホルムの大量投与によって引き起こされる疾患であり、1950年代後半から60年代にかけて1万人以上の被害者を出した代表的な薬害です。1970年には原因がキノホルムであることが疑われたために発売禁止となり、その後患者は発生していません。しかし、キノホルムとスモンとの因果関係が科学的にはっきりしていないということで、78年当時も依然として患者側と製薬会社・国との裁判闘争が続いていました。そこで私は、シャーレで培養したニワトリ網膜神経芽細胞(当時の名大理学部・江口吾朗先生に伝授していただいた)を用いてキノホルムの毒性を調べたところ、奇妙なことにキノホルム単独ではかなりの高濃度でも毒性が見られません。そこでスモン患者の舌や便などに見られる緑色の物質がキノホルムと鉄イオンのキレートであることがわかっていたので、そのキレートを培養液に添加したところ網膜神経芽細胞が特異的に変性することがわかったのです。メカニズムは以下のように考えています。キノホルムは脂溶性(疎水性)の化合物であり、鉄イオンとキレートを形成します。そのキレートを培養液に添加するとキノホルムは疎水性の細胞膜に取り込まれます。そのとき一緒に取り込まれた鉄イオンが過酸化反応を引き起こし、細胞膜を破壊して細胞を変性させるというものです。毒性を示す濃度のキレートでも、抗酸化剤のビタミンEを加えておくとその毒性が抑制されることからも過酸化反応が関与していることがわかります。つまりキノホルムは鉄イオンのキャリアーとして働くということです。また、これらの結果は793月、厚生省の「スモン研究班」で報告され、その後間もなくして裁判闘争も和解へとつながったようです。私としては純粋に科学的な研究として行った単純な実験結果でしたが、そのことが社会的問題の解決にもささやかながら貢献できたのではないかとひそかに自負しております。

  愛知県がんセンター研究所(1981-2001年)では、がん温熱療法の基礎研究の一環として、熱ショックタンパク質(heat shock proteinsHSPs)、分子シャペロンの研究をしてきました。80年代には代表的なHSPであるHsp70Hsp90Hsp25などの構造や機能が徐々にわかりかけてきており、また未知のHSPの探索も関心事の一つでした。そうした中、私も当初は、既知のHsp70について抗体を作製し、細胞内局在などを調べておりました。2年間のアメリカ留学(1986-1988、セントルイス、ワシントン大学)を終えて帰って来てから、二次元電気泳動法を用いて新規HSPの探索を開始し、間もなくして哺乳類のHsp40を発見、それが大腸菌のDnaJの相同体であることが判明しました。ただ、二次元電気泳動で一つのスポットとして見いだしたHsp40ですが、そのタンパク質の精製、抗体作製、cDNAのクローニングまではだいぶ時間がかかりました。そのころ一緒に仕事をしてくれた名大医学部の口腔外科の大学院生には苦労をかけました。90年代前半は大腸菌DnaJの哺乳類での相同体がミッシングリンクの一つであり、HSP研究者が探し求めていたこともあって、Hsp40の抗体やcDNAは国内外合わせて50人以上の研究者に分与しました。

 その後、Hsp40Hsp70と一緒に分子シャペロンとして未熟なタンパク質の折りたたみや複合体形成、ミトコンドリアへタンパク質輸送などの手助けをしていることがわかってきました。さらに細胞内に凝集体ができて神経細胞が変性していくという神経変性疾患において、Hsp70Hsp40は変異したタンパク質による凝集体形成を阻害し、神経細胞の変性を抑制するということも示されました(名大医学部神経内科・祖父江元先生との共同研究)。現在も分子シャペロン誘導剤による神経変性疾患の予防・治療の基礎研究を続けています。ともあれ、私にとっての90年代は多くの共同研究者にも恵まれ、実り多き10年間でした。なお、20089月には、日本ハイパーサーミア学会第25回大会を大会長として名古屋の地で開催させていただきました(理事長は奈良県立医大・大西武雄氏、会員数650名、参加者260名)。

 20014月に中部大学に移ってからは教育や管理運営上の仕事などに追われる毎日となりました。「動物生理学」、「生物化学」、「細胞生物学」、「分子生理学」、「酵素学実験」などの科目を担当しています。当初は学部の学生しかいませんでしたが、学年進行とともに大学院も設置され、博士課程の学生も進学してきて、細々ながらも研究を進めています(写真4)。ここは教員一人当たりの学生数が多いので、卒研生は毎年8-10人ほどです。ここの応用生物学部は「バイオ」を売りにした学部として2001年に創設され、当時の私立大学では新鮮な学部ということもあって、おかげさまで受験者も多くかなり人気がありました。もちろん2005年以降の18歳人口の減少による影響はまともに受けています。ただ、私たちの学部はなんとか定員割れすることなくまだ健闘しております。ここ数年間で「バイオ」を標榜する学部や学科が全国的にいくつか創設されつつあり、また2008年度からは阪大生物科学科も大幅な定員増になりました。この分野では全体として「過当競争」の時代になってきているのではないかと危惧しています。

 還暦が近くなってきて思うことは、「歩みは遅くとも歩み続けること」、「どんな状況になっても楽観的な見方を失わないこと」、「人間関係を大事にすること」、「誠実であること」、「感謝の心を持つこと」、などがどんな人生にも大事ではないか、ということです。

 大学入学以来40年間にわたって生物学を学んできましたが、これまでは本当に楽しい人生だったと思っています。リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」には、生物の進化では「気のいいやつ(nice guy)」が一番になることが書かれています。生物の世界は、とかく「弱肉強食」とか「適者生存」など、殺伐とした非情な一面もあります。しかし互恵協力的な戦略が最終的には勝利する、ということには、なぜかほっとするのは私だけではないと思います。

 最後になりましたが、阪大生物のますますの発展を心よりお祈り申し上げます。