在学生向け情報

メッセージ

研究室で有意義に過ごせそうな人は

 積極的に取り組もうとする人、常に好奇心を持っている人、困難に負けないで頑張ろうとする人、協調性があり、実験室で他の人への配慮ができる人、挨拶ができる人、翌日の実験の準備をして、片付けをしてから帰宅する人、自分なりに実験の計画を立てて行動する人、掃除をすることをイヤがらない人、次に自分が何をすべきかを考えて行動できる人、想像力のある人、教員や研究室のメンバーとコミュニケーションがとれる人など。
 これは研究室で、というより、社会人として大切なこと、として考えて下さい。

研究室で有意義に過ごすことが難しいかもしれない人は

 挨拶の出来ない人、先生や先輩、同級生に雑用をさせても知らないフリをする人、実験室が汚れていても掃除しない人、手伝いができない人、実験室を維持するために必要な仕事をやらない人、研究室のもの、他人のもの、自分のものが区別できない人、片付けをしない人、計画性のない人、研究室にいる時間を出来るだけ短くしたいと考える人、先生や先輩から言われたことをしない、後回しにする人、先生や先輩に言われたことしかしない人、先生とのディスカッション中にメモを取らない人、2日でできる実験を1週間かけてする人など。

大学に入学した。いつのまにか4年生。さあ、大学での研究、研究生活って何だろう?

 これについては、私の親しい友人である、お茶大の森光先生、兵庫県大の村上先生のお二人が大変示唆に富んだ文を書いています(2007年の日本食品科学工学会大会・若手の会の講演要旨)。お二人の許可を得てこの文章の一部を下記にのせておきますので、是非読んでください(ほんとうに名文です!)。研究をする上での基本的な姿勢などを是非理解してください。
 勉強と実験、ラボのことだけに専念できる学生の期間は本当に貴重で大切な時間ですね。このような状況にいることができる今の環境や周りの人たち、友人、両親に感謝しましょう。

研究生活を始める人、すでに始めている人へのメッセージ

●お茶大・森光先生の文章から抜粋

【起】
大学生・大学院生だった頃の自分、とりわけ研究室に配属した4年生以降のことを思い返してみれば、今日ある自分の姿(not 容姿)がハッキリするのかもしれない。学部を卒業したら酒造りをしたいなーなどと、漠然とした考えしか持っていなかった自分が、食品化学の研究分野に魅了されたのはタマネギのせいであった。北海道出身で幼少の頃に見たタマネギを食べさせられている馬(not次演者)の光景と疑問とが合致して、民間伝承的な薬理作用を示す成分を急に知りたくなった「無邪気な衝動」は今も忘れていない。もちろん、指導教官であった川岸舜朗教授の面白さと暖かい人柄も、長い研究室生活を継続させてくれた原動力であり、今もこの巡り会いにひたすら感謝するのみである。
【承】
とにかく、研究室に居て損得など気にせず、実験とラボの整理や新しく機器の使用法を覚えていくことが大好きだった。言わずもがなの「ラボサイト族(朝から深夜まで研究室に寄生する生き物)」になっていた。ちっぽけなタマネギだったけど、20kg入りの箱が4箱ともなると「カレー屋でも始めるのか?」と親友たちが冷やかしながら抽出している脇を通り過ぎていった。それでも、「世界で自分が初めて単離した含硫成分」に巡り会えたビギナーズラックのせいで、「次はコレを知りたいウイルス」に完全に感染してしまった。十分な研究費やテクニックがなかった当時であったにせよ、川岸先生や大澤先生(当時、助教授)のご尽力で手法を習いに出かけたり、高価な試薬の購入許可をもらったり。歩みは現在と比べれば牛歩並なのだろうけど、心が充足する早さは「新型のぞみ」級であった。
【転】
ところが、博士号を修了期間通りに取得してしまうと、なかなかラボには居続けられない現実があった。自分の実験が全く完結した気分には到底なれなかった。でも贅沢なことに、D3の9月末時点で学振などいくつかの選択肢が並んでいた。そんな時に大学助手の口が新たに舞い込んで、自分で研究テーマを掲げることができ、さらに学生を教えるという職を選んだ。
   中略・・・・・・・・・・・
経年とともに、自らの手で研究する時間が激減してしまった。でも、若手研究者に高みからではなく言えることは、「誰のための研究」で「誰の欲求」が充足されているのか答えに窮するあまり、無意識のうちに「邪気だらけの衝動」で研究をするものではないこと。まさか、何の考察もなく実験データを先生に提出しているなんてことはない…よね。(^^)

●兵庫県大・村上先生の文章から抜粋

研究、好きですか?
 長年、プロ野球で活躍した選手が引退するときに「野球とは人生そのものでした」とよく口にします。彼らが攻走守でお金を稼ぐ一方で、私は教育と研究で給料を頂いています。もちろん、まだまだ未熟なため「研究とは人生そのものだ」と言い放つことはできませんが、ときおりそれに近いものは感じます。仮説を立て、検証し、結果を得て、それを公表し、客観的評価を受ける・・・その過程において、期待したようなデータが出ない、ライバルに先を越される、論文の審査員に容赦ない批判を浴びるなどの苦労もしょっちゅうです。しかしときおり、心躍るような現象にリアルタイムで遭遇したり、苦労して(自分としては)良い雑誌への掲載にまで漕ぎつけたときは例えようのない喜びを感じますし、これらが研究でご飯を食べていく上での driving forceとなっていると自己分析しています。

先生でなく自分のための研究
 学生さんは研究テーマを先生からもらいます。最初のうちは研究背景を理解するだけでも大変で、実験操作をマスターするのも時間がかかりますね。しかし、修士、博士と進学するにつれ視野が広がり経験値も上がりますから、研究が徐々に自分のものに感じられるようになるのが自然です。でも、「先生の言ったこと」を鵜呑みにし機械的にこなすだけの学生は思うような結果がでません。そうなると実験(この場合、「単純作業」といった方が適切でしょう)が好きになれず、ますます研究室での存在感が薄くなります。この悪循環を断ち切るには、多少の困難には負けない、神経を研ぎすませて考え抜く、教員を含めた周囲の人たちと良好な人間関係を築き情報交換をスムーズにする、などの基本的要素が不可欠でしょう。私はお金をもらって研究していますが、学生さんは逆ですから、「研究らしきものはしているが、それは自分のためだ」という意識が低いとすれば問題ではありませんか。

▲TOPに戻る